私の自己肯定感の低さの要因

3F21B809-493B-4AA8-9A1D-FCFEB8775043.jpeg
こんにちは。
昨日は自己肯定感が低く、生きる意味を見出せなかった時期があると書きました。
「自分はダメ人間だ」と思っていた要因の1つをお話します。
端的に言えば、大学受験で失敗したことです。

今思うと、本当になんでそんな事で悩んでいたのだろうと思います。
過去にも何度かブログで書いたことがあったかもしれませんが、私はこの失敗で大きなものを得たのです。
この失敗があったからこその今の幸せな人生なのに、いつからか、どこからか、「自分はダメ人間だから…」と自分で自分にレッテルを貼ってしまっていたのです。

少し長くなります。ご興味があれば、どうぞお付き合いくださいませ。

******************************
私の大学受験&大失敗

私の両親は医療従事者です。
だから子供の頃から、なんとなくそういう仕事に興味はありました。
そしてはっきり言われた訳ではありませんが、親も私が医療の道に進むことを期待していたと思います。

私自身の記憶では、高校1年の夏頃は「医者になろうかな」と思っていました。でも高1の秋の文理選択を決める際には、私は「文系に行く」と決めています。高1の夏から秋にかけて何があったのか…はっきりとは覚えていませんが、何故文系に行くと決めたのかと言えば、それは親に対する反発心が大きかったのです。

私の父はどちらかと言うと専制君主的な父でした。
1人娘である私は、幼い頃はそれこそ目に入れても痛くないというくらいに可愛がってもらったと思いますが、思春期となった私に対しては心配がいつも付きまとっていたようです。
中学生の頃、父に言われことは「お父さんの言うことだけを聞いていなさい。そうすれば、人生は安泰だ」という趣旨のことで、これに対して私は猛反発したことを覚えています。

高1の秋に文系に行こうと思ったのは「父の支配下にいたくない」という想いでした。
医者という職業に対して興味はあったものの、医者としては父には到底かなわないという思いがあり、医療の道に進んでも「あーでもない、こーでもない」と指図されそうな気がして嫌だったのです。当時、私の好きな教科は理系科目だったので、薬剤師なども考えましたが、父に「医学部受けろ」と言われたら嫌だなと思い、父と全く分野の違う「文系」を選んだことははっきりと覚えています。

それと私は当時から『専業主婦』になりたかったようです。
それは何故か分かりませんが、高校時代の友人と20年ぶりに会った時にも「あなたは昔から専業主婦になりたいって言ってたよね」と言われました。友人にそんな話をしたことなど覚えてもいませんでしたが、確かに私は高校生の時から『専業主婦』になりたくて、私はちゃんとその夢を叶えていたのでした。

文系に行くと決めた私は、文系教科の中で唯一好きな英語の道に進路を決めたいと思っていました。実は高校時代は海外留学がしたくて、何度か両親にお願いしたことがあります。でも「英語の勉強だけなら日本でしなさい」と許してはくれませんでした。ならば、大学は外大とか英文科に行きたいと思いましたが、これまた両親に反対されました。

「英語はただのツールでしょ。そんなことじゃなくて、もっと語るべき中身を学びなさい」と。
そして母はどういうわけか、5教科の国立を目指すことしか許してくれませんでした。

今思うと、田舎育ちの両親からすると「私立は勉強のできない子の行く所」という思い込みがあったのだと思います。
それと、外大(当時は3教科受験で行ける国立でした)や英文科など行けば、また留学したいと言い出しかねない…結局は自分の手元に置いておきたかったのかもしれません。

塾に行きたいと言っても「私立に通わせてもらっておいて何を言ってるの?」という母。
(「中高一貫の私学に行け」と中学受験をさせたのは両親ですが…(笑)でも、私は母校が大好きなので、文句はありません。むしろ、ありがとう♥♥ですけれども)

そして、私は現役時代、国立受験に失敗しました。
と、いうか、全く勉強をしなかったので、これは当然の結果でした。
別に図って浪人した訳ではなかったのですが、親にお願いして、「どうしても私立3教科文系で受験がしたいので、予備校に通わせてください」とお願いし、やっと無事に私の志望大学を定める事ができました。
そして予備校に通い始めると、成績はみるみるうちに伸び、12月の予備校の面談では志望校について太鼓判を押してもらったくらいです。

「英文科なんて」という親の手前、第一志望をK大法学部、第二志望をK大文学部、そして滑り止めにG大文学部…と決めたのですが、実は内心、K大の法学部は落ちてしまえばいいと思っていたのです。だからK大法学部の過去問はほとんどやりませんでした。そして実の本命のK大文学部、試験当日、私はここで大失敗を犯したのです。
忘れもしません。受験科目は、小論文、英語、世界史。小論文は模試などでは比較的評価が高く、得意な方でした。実際の試験でも、完璧ではないけれど、まずまずの出来でした。英語の試験も問題なくクリア。残すは世界史!
この時、私はすっかりピノキオだったのです。センター試験で世界史が満点(英語は1問間違え(笑))だったので、これはもう合格したな、と世界史を受ける前に思ってしまったわけです。
ですが、一瞬思ったのです。「アメリカ大統領史、見直しておこうかな?」と。ところがです。ピノキオの私は、まあ、出たら出たで、できるなと思い、休み時間は余裕をかます風に机に突っ伏して寝たのです。
そして世界史の試験開始!大問1:な、なんと、「アメリカ大統領史」がばばーん!!!
お!?いや、大丈夫、できるから。
そう思ったのですが、どうしても3カ所の空所で「あれ、どっちがどっちだっけ??」となってしまったのです。一か八か賭けで空所を埋めましたが、見事、大外れ!すべてが入り繰ってしまい、そこで18点も落とし、見事に「補欠不合格」となりました。後で私の前の補欠グループまでが繰り上げ合格だったと聞きました。

なんとなんと、神様はピノキオ(私)に試練を与えて下さったのです。(涙)
両親は呆れ、父にはこっぴどく叱られました。

これが私の自己肯定感を下落させた要因の1つだったと思います。

結局G大に入学したのですが、私は落ち込んで、この時も生きている価値がないような気がしていました。
でもある教授に「学ぼうとする者は、どんな所でも、どんな時からでも、どんな人からでも学べるんだよ。学ぼうとする者はね」と言われ、目が覚めたのです。
周りをみれば、とても素敵な友人たちがいました。そして、このような選択をさせてくれた親にも感謝をしました。
また、その友人たちとは今でも気の置けない仲であり、私にとっては大事な仲間です。
こうして私は楽しく生き生きとした大学生活を送ることが出来たのです。

ところが、私は再び「私は価値のない人間だ」と暗い穴倉に引きこもってしまいました。それがこの15年ほどでした。ずいぶん長いこと穴倉に迷い込んでいたものです。
15年前と言えば、長女が小学校受験をするかしないかという時期ですが、その後の子供たちの進級進学のたびに、ダメな自分を思い出していた訳です。
この穴倉から出るには時間もかかりましたが、最後にこの穴から完全に出ることになったきっかけは何だったかな。
過去のブログにあると思うので、良かったら、見てください。

「できなかったこと」よりも「やれることをやらなかったこと」というのは、後悔がつきものです。
だからこの先は後悔しないように生きていこうと思います。
でも、過去のブログに自分で書いているけれど、「例え、後悔したって良い」のかもしれません(笑)

長くなりましたが、最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。
私の失敗談がどなたかの生きる知恵となれば幸いです。

この記事へのコメント